第6期生卒業に際して

第6期生卒業に際して (2013年3月17日)

某大手電機メーカーで長らく新卒採用に携わったという女性から示唆に富む話を聞いた。企業が学生に求める能力として決まって一番に挙げられる“コミュニケーション能力”・・・ところが、学生、そして大学関係者の多くが、この曖昧な単語の意味をはき違えているというのだ。確かに語学力があったり、サークルの仲間とうまく話しができたりするだけで、「コミュニケーション能力のある人だ」と評価される傾向にある。面接では明るくはきはきした受け答えができることが重要だと勝手に思っている。しかし、コミュニケーション能力とはそのような表面的かつ低レベルなものではない。件の女性曰く、企業が求めるコミュニケーションのレベルとは、「性別、年齢、地位、国籍が異なり、利害関係が対立するような相手であっても、自らの主張をきちんと表現し、相手の立場も考慮しながら、お互いに満足のゆく結論に導くように交渉できる力」のことである。難易度の高い仕事をこなさなければならないビジネスパーソンならば、当然持ち合わせなければならない資質ということなのだろうが、キャンパスの内側の人間たちが連想していることとの乖離は極めて大きい。
企業側が求めるコミュニケーション能力のレベルを満たすために、学生は何をすべきなのだろうか?その解は「気が合い、話し易い相手とばかり接するのではなく、話すのにハードルが高い相手にも積極的に相対し、そこで自分の存在を認識させるべく努力する」ことであろう。ゼミ内において最もハードルの高い相手とは他ならぬ私である。育ってきた時代背景も現在の社会的な立場も違う私と話すためには、それ相応の準備が必要になるからだ。自分の意見を頭の中でまとめる作業だけでなく、表現の仕方も工夫しなくてはならない。そのような骨の折れる会話はできればしたくない。学生の中には次第に私を避けるようになる者もいるが、その者たちが逃げ込む先は決まって同級生かサークルの仲間など、気楽に話せる“お友達”の輪だ。そして、その輪から抜け出すことは2度とない。かつて3期生の岩崎祐也君はエッセイの中で、私と積極的に会話することの重要性を訴えていた。また、5期生の今関伸弥君も同期の動向に流されやすいゼミ生の風潮に警鐘を鳴らしている。しかし、今年もまた先輩たちの声は響かず、残ったのは2名のみ。「私とよく話す人が最後まで残る人」・・・昔から私が冗談まじりで言っていたこの科白がますます真実味を帯びて聞こえる。
赤石奈緒さんは比較的早い段階から私と積極的に話す傾向にあった、そのため、ゼミ内では辛い思いをしたことも多々あったと思うが、私の思想を信じてついてきてくれたことに感謝したい。一方、中山しおりさんは2年次には決して花開いていたとは言えなかったものの、教育係や採用係といった役職を利用して私の思想を理解し、最後までたどり着いた。次々と輪の中に吸い込まれてゆく同期との間に立って苦労したこともあったと思うが、この有吉ゼミを最も有効に利用して自分を成長させることができたのではなかろうか。赤石さんの体育会で培った厳格さと温かさ、中山さんの持つ全体を俯瞰する眼、これらは時として判断に迷う私を支えてくれた。6期生にはゼミ長は存在しなかったが、2人は十分に4年生としての存在感を出してくれたと思う。これからの社会人生活では私よりはるかにコミュニケーションをとるのが大変な難敵が待ち受けているだろうが、これらとしっかり対峙してほしい。共に社会での活躍を願う。卒業おめでとう!

平成25年3月吉日
有吉 秀樹

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