サンフロロ工業水戸とし子社長ご逝去を悼む

サンフロロ工業水戸とし子社長ご逝去を悼む(2013年1月22日)

「上の人たちは下にいる人間の気持ちなんてわからないんだ!」・・・古今東西、老若男女を問わず、よく耳にする言葉だ!それだけ世の中の共感を得やすいのかもしれない。しかし、この科白を口にする者のうちどれほどが、逆の立場に立って考えたことがあるだろうか?私がサンフロロ工業株式会社の水戸とし子社長とお付き合いさせていただく中で、最も学ばされたのは“経営者の孤独さ”だった。極論だが、自分たちの生活がすべてである従業員に対し、企業を抱えている問題を全身で受け止めなければならないのが経営者であるとするならば、両者は基本的に別世界に生きる生き物であり、その間には決して超えることのできない壁があるのかもしれない。今振り返って考えると、その壁を壊すことはできなくても、お互い相容れることができるのではないか、社長はずっとこの課題に挑戦し続けていらしたように思える。

ご主人やお子さんのいらっしゃらない社長にとって、会社やスタッフは家族のようなものであった。従業員という呼び名を嫌ったのも、共に会社を支え合う者としての絆を意識しておられたからに違いない。知能の発達が遅れた者でも積極的に採用して教育し、精神的に追い詰められた者がいれば、実の親のように親身になって気遣われた。しかし、スタッフの理解は社長の思いの深さから見れば、比べ物にならないほど浅いものでしかなかった。私は2004年以来、長きに亘ってサンフロロ工業のコンサルティングに携わったが、それは社長の深い悩みを理解し共有する作業とほぼ同義であったと思う。やがて獨協大学に着任しゼミという組織を率いる立場になってからは一層、社長の苦労が理解できるようになった。コンサルティングの中身は見積管理、受注管理、在庫管理、工程管理、研究開発など多岐にわたったが、すべてはスタッフの意識向上という社長の抱える課題につながっていた。社長は定期的に私にスタッフのヒアリングを依頼されたが、ヒアリングを繰り返すごとに少しずつながらスタッフの意識にも変化が見られた。所帯の小さい零細企業において、意識の変化がもたらす影響は大きく、次第に会社の業績は向上し、早稲田大学との共同特許申請、トヨタや日産が主催する展示会出展など、今後につながる嬉しいニュースが相次いだ。社長は大層喜ばれたが、それは、産学官連携の成功事例として静岡県沼津市で講演された際にスタッフの頑張りを最も強調されていたことからも窺い知れる。当時はしばしばスタッフ総出で向島の料亭街に繰り出しては、芸妓衆を交えて宴を楽しんだものであった。しかし、そのような時こそ私が“長夜の飲”に酔いしれ過ぎないようお諫めすべきだったのではと今更ながら述懐する。

2009年、社長は宿願であった新工場移転を決断、新しい機械の購入、若い社員の雇用など次の10年に向けてサンフロロ工業の技術を継承させるべく、矢継ぎ早に手を打った。しかし、折悪しく訪れたリーマンショックと共に業績は急降下、莫大な負債を抱え込み、気づけば会社全体が「いつか来た道」を歩んでいた。社長は毎年のように私のゼミの合宿にスタッフを帯同して足を運ばれたが、それは単に私がサンフロロ工業をケース企業として取り上げていたからだけではないだろう。ゼミ生の意識の高さからスタッフ、そして社長ご自身も何かヒントを得たかったかもしれない。この数年、社長が誰にも悩みを打ち明けられず孤独感に苛まれているのを知りながら何もできなかったことは、内心忸怩たる思いである。昨春、自身の臓器が癌に冒されてもなお、社長は最後まで会社をたたまずに済む道を模索し続けたが、それは自己の保身からではなく、ひとえにスタッフの行く末を心配されてのことだった。願い空しく、2012年10月、サンフロロ工業株式会社は破綻。それでも、「新しい会社に引き取られたとはいえ、スタッフはさぞかし肩身の狭い思いをしていることでしょう。だからと言って、倒産した会社の社長がしゃしゃり出る幕はありません」とおっしゃっていた言葉が今も脳裏に焼き付いて離れない。

「先生、会社もスタッフを仕事も皆すべてなくなってしまいました」・・・破綻から程なくして、これまで見せたこともないほどの悲しげな声で今の気持ちを吐露された社長に対し、私は言うしかなかった。「そんなことはありませんよ。会社という箱は無くなったかもしれませんが、新天地に移ったスタッフが社長の下で培った技術を生かして頑張ってくれているんですから。社長の願いであった技術の伝承という目標は間接的ながら成し遂げられていますよ。社長はこれまでずっと走り続けてこられたんです。少し休んだ方が良いという神様からのサインです。ゆっくり疲れを取ってください。」それが最後の会話となり、水戸社長は会社の後を追うかの如く、2013年1月5日夜、乳癌のためご逝去あそばされた。早逝ではあるが、サンフロロ工業と共に生きた人生に賛辞を送りたい。ご冥福をお祈り申し上げます。

雪積もる市川の自宅にて
有吉 秀樹

One Step Back