ゼミ創立10周年を迎えて

時の経つのは早いもので、着任して10年の歳月が流れた。この間、有吉ゼミでは「No Change, No End」という理念に基づき、学習面・精神面のいずれにおいても成長できるようなプログラムを導入してきた。ケーススタディによる学習、学生参加の採用活動、先輩による後輩教育指導、フィルタ制度、プレゼンテーションコンテストやインターンシップなど学内外での他流試合の機会の推奨・・・歴代ゼミ修了生の英知がこれほどぎっしり詰まった組織はどこを見渡してもそうそう見当たらないだろう。しかし、それでも十分に成長しきれない、あるいは組織に馴染めないといった者もおり、残念ながら少なくない数の別れも経験した。

高校生と社会人の間に位置する大学生という区分。これをどのように生きるかは当然重要な問題である。高校生の延長として先を考えず享楽的に生きるのか、それとも社会人を意識して生活を送るのか、「社会で活躍できる人材」になるために、私はゼミ生に対し後者を求めた。「社会人を意識する」という言葉は表向きには意識の高い学生たちから支持を受けやすく、我がゼミも多くの素晴らしい学生を迎えることができた。しかし、この言葉の持つ別の側面・・・社会の持つある種の“理不尽さ”を受け入れるという側面を多くの若者はすんなりと理解できない。

かつては家庭でも学校でも地域社会でも企業でも先輩や先生、大人の言うことは絶対であるという風潮が強かった。その風潮が最も顕著に現れる体育会系が就職において有利などと言われたのも頷ける。また、仮に理不尽さに納得できない者でも、終身雇用の時代においては、ボヤキながらも定年まで我慢して毎月の給与をもらい続けることが上策と考えられており、理不尽さを甘受する傾向が強かった。しかし、終身雇用制度の崩れ、ゆとり教育に代表されるような“公平さ”を重んじる教育など、今の若者を取り巻く外部環境には理不尽さを受け入れる土壌はない。この10年で経験してきた別れの真相はここにあると分析している。

私も若かりし頃は社会の理不尽さに疑問を持ち、憤激したものだ。しかし、理不尽に思えたものの多くにはそれぞれ意味があったということを後に自覚した。若いうちは大いに疑問を持ち、時に反発することも結構だろう。しかし、大人社会が突きつける理不尽さをにべもなく拒絶するのではなく、一度呑み込んで考えてみるという素直さがなければ、成長速度は速まらない。次の10年、そんな素直さを持つ学生との出会いを楽しみにしている。

平成28年3月12日
有吉秀樹

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